童貞っぽい人であり続けたい

先日とある友人とお酒を飲んだ。

友人は20歳になるまでお酒を飲むことなく過ごし、周囲の人間が酔っぱらっている姿を見て自分が飲んだらどうなるだろうかと胸を膨らませていた。しかしようやく20歳になりお酒を飲んでみると、その苦さやアルコール特有の味が不快だったようだ。あんなにみんなが楽しそうに飲んでいたものは何だったのかと心底失望したらしい 。

そのような感覚は飲酒を始めた直後には誰しもがあるものだと思う。しかしそれらは回数を重ねていくうちに慣れていき、多くの人は進んでお酒を飲むようになる。(そう思う人が全員でないことはもちろん認識している)

そんな中友人は一回一回の飲酒をしっかりと味わっていた。はじめて飲んだ時の話や、先日飲んだ時の話をかなりの解像度でしてくれる。どんなお酒を飲み、どんなおつまみを食べ、どうまずかったのか。そして未成年の頃に抱いていたお酒への憧れは何だったのだとその落胆を堰を切ったように語りかけてくる。僕はいつからこの感覚を忘れてしまったのだろうとおちょこを傾けていると、とある別の友人のことを思い出した。

 

別の友人が童貞卒業直後に電話をかけてきてくれたことがあった。聞きたくもないのに鼻息荒くセックスなり女体なりの話を長々とまくしたて、挙句の果てにオナニーの方が気持ちよいと彼は語っていた。一回のセックスで何が分かるんだよと思いつつも、彼の脳内に新情報がたくさん入ってきて興奮している様子はなんだか羨ましく思えたものだ。

 

僕の思い込みもあるだろうが、なんだかこの世の中は経験豊富であるようにふるまうことが良しとされている気がする。お酒を飲み慣れ、女遊びは一通り終え、一般的な教養や礼儀作法は頭に入っていて、過去には多少ヤンチャもしていて、どんなトラブルも乗り越えてきましたみたいな顔でどいつもこいつも歩いていやがる。しかしそうなる前には新情報を前にして「なんじゃこりゃ~」となっていたはずなのである。それを表に出すことはダサいから経験を重ねてさっさと慣れろよという風潮を感じる。なんなら慣れていなくても背伸びをしてそういう風に振る舞っている人が多い気がする。でもそれってなんだかとてももったいないような気がしてならない。

さみしいことだが年齢を重ねるにつれて新情報は減っていく。多くのものは過去に経験したものや、その延長線上のものになってしまう。ならばその一つ一つが新情報であるうちにしっかりと噛み締めたい。慣れるまで何回でも「なんじゃこりゃ~」と言い続ける人生の方が僕は楽しそうだなと思う。

その日はとってもおいしいお魚と日本酒を飲んだのだが、あいかわらず友人は慣れない様子だった。しかし後半になって少しだけ良さが分かった気がすると言ってくれた。これから先3000円の飲み放題で薄いレモンサワーを飲むことなく、おいしいお酒を飲んで「なんじゃこりゃ~」と言いながら慣れていってくれたらいいなと思う。僕ももっと人生に対する童貞感を高めねばならんと反省しながら帰路に着いた。

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