「カノジョ」という幻想

先日こんなツイートを見かけた。

加藤智大さんの思考は偏りすぎたものでとても賛同できるものではない。

自分が人に承認されない原因を容姿や環境のせいにし、自己肯定感を低めて周囲への憎悪を募らせてゆく。

そしてその問題は「彼女さえできれば解決する」と、女性をさも自分の承認欲求を満たすための道具のように考えているところが一番いただけない。

そしてこのことは多くの方々がリプや引用RTで指摘していて、まったくもってその通りだと思う。

しかし、この非モテ特有の鬱屈とした気持ちというのは、程度は違うにしても多少共感できてしまうのもまた事実だった。

完全な言い訳だが僕は中高と男子校で過ごし、女の子との接し方というものをまったくもって理解できていない状態で大学に入った。

大学一年生の頃はそれはそれはひどい非モテぶりであり、あの頃の行動の数々を振り返ってみると恥ずかしくて死にそうになる。

しかし小学校以来の共学生活で「彼女作るぞ~」と意気込んでいた僕にとってモテない日々はとても辛く、「俺ってそんなに悪い人間じゃないと思うんだけどなぁ」「女子見る目なさすぎね?」と友達に漏らしたことは一度や二度ではない。

挙句の果てにモテている高校の同期のことをうらやんだり、同じくモテない友達と傷をなめあったりと地獄のような日々だった。

この頃の僕は加藤智大さんと同じように「彼女さえできれば」と突然現れる自分のことが好きな美少女の出現を待ちわびていた。(後に自己研鑽こそが大切だと考えるようになり、おかしな方向へと転がってゆくのだがここでは省略)

冒頭でも述べたように女性は男性の承認欲求を満たすために存在しているわけではないし、そもそも性に関係なく自分のことを完全に理解して承認してくれる他者など存在しない。

しかしやっかいなことに非モテはまだ見ぬ「カノジョ」こそが自分を救ってくれるメシアだと思い込み、さらに思考をこじらす「非モテスパイラル」に迷い込んでしまうのである。

  

  

非モテの人間的魅力が薄いことがこの問題の一番の原因であることは間違いないが、この世にはびこる「恋愛をすることこそが正しい」という風潮によって非モテの自尊心がゴリゴリ削られていくこともこの問題の原因の一つではないかと思う。

男性ならみな経験があると思うが、バイト仲間も、久々に会う親戚も、なんなら初対面の人ですら「彼女いんの?」と事あるごとに聞いてくる。(僕も聞くことがないわけではないが、その時はよっぽど会話の糸口がない場合である)

街で流れるbgmのどれもこれもがラブソングなのも気持ち悪い。たしかに恋に落ちた男女は消費活動が活発になるが、だからといってそれを煽り続けるのはどうやねん。

僕たちは動物ではあるが、必ずしも子供を作る必要もないし、必ずしも結婚する必要もないし、必ずしも彼女がいる必要もない。LGBTの人だって山ほどいる。

とどのつまり自分が現在の人生に満足さえしていれば恋人の有無はどうでもよいのだ。

友達と遊んだり、趣味に没頭したり、モテるための努力をしたり、孤独を噛み締めて自分を見つめ直したりすればいいじゃないか。

「彼女いんの?」としきりに聞いてくる輩には、お前は恋人がいることによって得られる幸せしか知らんのかと問い詰めたくなる。

 

 

加藤智大さんが犯した罪はとても許されるものではないが、非モテスパイラルに陥った人間なら同じような思考になってしまうこともありえなくはない。

あのような悲しい事件が二度と起こらぬよう、身の回りの声かけから少しずつこの風潮を変えていけたらいいなと非モテスパイラル経験者は思うのである。

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