幸せとは

急に通知が来た。

Facebookの友達申請だ。

その名前は、僕が小学校の頃に好きだった女の子の名前であった。

近所の小学校で、塾が同じだったあの子。

授業終わりにくだらない話をしながら二人で自転車をこいで帰った時の、夜の静けさやツンとした寒さが一気に脳内によみがえった。

受験後の送別会、僕は彼女に連絡先を渡そうと作りたてのヤフーのメールアドレスをメモして会場に向かったが、そこに彼女の姿はなかった。

そんな思い出に浸っていると、さっきまでダラダラしていた心臓が急速に活動を始めたのが分かった。

ページに飛ぶと、止まった時が動き始めたかのように様々な情報が入ってきた。

慶應に通っていて、ダンスサークルに入っているらしい。

誕生日でみんなに祝われている写真やら、追いコンやら、オサレなカフェやらの写真が並んでいる。

「こいつ、インスタとFacebookを連携できるタイプの人生を歩んでやがるっっ!」

来年からは誰もが知る超一流企業で働くようだ。

そして何より、めちゃくちゃかわいくなっていた。

小学校の頃、毎日のように隣の席で競うように勉強していたあの子と、これほどまでに社会的立場に差が開くもんかと呆然とした。

しかしその一方で、僕が今まで過ごしてきた日々は間違いだったのかと問うと、そんなことは全くなかった。

22年間生きてきて、死ぬ間際にも思い出すであろう大切な景色が僕の心の中にはたくさんあった。

失敗も挫折も味わってきたが、その全てがあって今の僕がいる。

斜に構えずにはいられないねじ曲がった性根だが、自分の心には正直に生きてきた。

今日の帰り道の角を曲がったところに彼女が現れたとしても、僕は胸を張って自分の人生を語れるだろう。

(そして、これはただの予感なのだが、なんとなく街中で急に彼女と再会する気がする。)

今日も僕は僕の人生を生きる。

明日も明後日も僕と僕の周りの人々が幸せになる道を探し続けるのだ。

彼女の人生に幸あれ。

また二人の人生が交わることがあれば楽しくやろうぜ。

僕たちは自分の幸せを、他人と相対化して定義してしまうことがある。

でも、結局は自分次第だなと思う。

陽キャ・陰キャ問題、にわか・オタク問題、スクールカースト、SNSマウンティング、総じてクソだ。

自分の幸せは自分で決めよう。自分の心の声に耳をすませよう。

自分の人生の手綱を握っているのは誰でもない自分自身なのだ。

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コメント

  1. 徳永 より:

    久しぶりの更新ですね。
    今後も楽しみにしています。