文化について考える

夏の異常な暑さが嘘のように、ひんやりとした空気が心地よい季節になりましたね。

こんにちは!黒糖(@tomechan67)です。

突然ですが、「文化」ってなんでしょう。

辞書的な意味は以下です。

真理を求め、常に進歩・向上をはかる、人間の精神的活動(によって作り出されたもの)

引用:新明解国語辞典

なるほど、、、なるほど?

これがどのように誕生し、どのように広まり、それを残すにはどのようなことが必要かについてとあるきっかけからずっと考えていて、自分なりの結論が出たのでまとめてみます。

1つ例を出して考えてみましょう。

僕は今年の夏休みに実家である沖縄に帰省していました。

沖縄の旧盆(※)は家長が出席する必要があるのですが、おじいちゃんは僕が小さい頃に他界し、父が仕事でどうしても帰れないということで次期家長の僕が帰ることになったのです。

※旧盆:本州で言うお盆のようなもので旧暦の7/13~15におこなわれ、沖縄では正月よりも大切なイベントです。初日(ウンケー)にご先祖様を家に迎え、二日目(ナカビ)はゆっくりしていただき、最終日(ウークイ)にご先祖様を送ります。

僕が到着したのはウンケーの前日だったため、到着するや否やおばあちゃんの手伝いで大忙しでした。

しかし事細かに決められた規則に従って仏壇に果物や小物を供え、とても二人では食べきれない量のごちそうを次から次へと作るおばあちゃんを手伝っているうちに

「おばあちゃんはなんでこんなにめんどくさいことをやってんだろ」

「やるにしても加減ってものがあるだろ」

という感情が湧き出てきました。

僕が旧盆に対する理解が足りないからこう思うのかなと、一つ一つのお供え物の役割や意味についておばあちゃんに聞いてみました。

すると、そこそこは答えてくれるのですがおばあちゃん自身もよく分かっていないことが多いようでした。あんなに大変な作業をしているのに。

旧盆が始まってからは来客とお話したりお供え物の入れ替えをしたりして過ごしました。

そしていよいよウークイになり、ご先祖様の送り(※)が始まりました。

※送り:うちかびと呼ばれる天国で使われるお金や、作ったごちそうの一部を焼いてご先祖様に持たせてあげる儀式のことです。

これをおこなうのは家長の役目とされており僕が黙々と儀式をおこなっていると、おばあちゃんが大粒の涙をこぼしながら

「じいちゃん、黒糖家のこと見守ってあげてよ。あっちでも体調に気をつけて。また来年来てね。必ずね。またね。」

と手を合わせておじいちゃんにしゃべり続けていました。

その顔はまさしく、遠距離恋愛中の彼氏を見送る少女そのものでした。

「あぁ、これか」と思いました。

旧盆はご先祖様に感謝を伝える一連の儀式という位置づけですが、そもそもはおばあちゃんのような

「死者に会いたい、何かしてあげたい」

という純粋な思いから始まったものだったのだと気づかされました。

意味がどうとかしきたりがどうとかいうことはもはや後付けで、どれだけ死者に尽くしてあげたいかという気持ちの表れなのです。

この光景を見た僕は、やはりこの文化は残しておくべきであるし、もっとおばあちゃんに詳しい想いやしきたりを聞く必要があると強く思ったのです。

そして、自分の子供にはこの文化を(少なくとも想いは)伝えていく義務があると感じました。

冒頭で述べた「文化」に話を戻します。

先ほどの例を一般化してみると、文化が根付くフローは以下のように表せます。

➀沸き起こった感情を何かしらの形で表現したくなる。(死者に何かしてあげたい)

②意味をこめた工程をルール化する。(盛り付けや装飾の規則を決める)

③共感してくれる人々にもおこなってもらう。(親戚もみなおこなう)

④恒例行事にするために次の代へと伝える。(子供・孫の世代にも毎年参加させる)

次にこれを阻害する要因をフローごとに考えてみます。

➀感情が沸き起こっていない人もいる。

②ルールを守っていくことがめんどう。

③共感できない人もいる。

④➀~③の工程を経ずに参加すると意味が見出せない。

それにも関わらず文化が根付いた要因としては

❶昔はコミュニティーの単位が小さかったので同調圧力が強く、文化を拒絶する人が少なかった。

❷❶ゆえに習慣的に参加するようになり、その中で➀や②についての理解が進み、意味を見出せるようになった。

などが挙げられると考えます。

しかし僕が実際に文化をめんどうだと思ったように、文化を維持するということは現代において非常に難しいです。

これも要因ごとに考えてみると

❶移動手段の発達により土地に縛られる人の割合が減ったため、それに伴って文化に縛られる人の割合も減った。SNSの普及により様々な価値観にアクセスできるため、その地域特有の考え方や文化が薄まってきている。

❷文化に積極的に参加する機会が減ることで理解する機会も減り、より文化に意味が見出せなくなっている。

あたりが影響していると僕は感じました。

これらの現状から文化を残すために必要なことは

1:文化が生まれた思いや背景に触れること

2:それを興味のない人に刺さる形で発信して文化への入り口を作ること

だという結論に僕は至りました。

抽象的な話が続いたので、この理想的なモデルとして着物女子(@kimito_kimonoto)というアカウントの活動を紹介したいと思います。

このアカウントの中の人と知り合っていろいろと話を聞いてみたのですが、

運命の着物に出会ったことで「着物を着る」という文化に興味を持ち(1:)、

夏に浴衣イベントを開いたり(詳細はこちら)、このアカウントで頻繁に着物姿をTwitterで見せることで着る頻度の低い着物を身近なものにし、着物の様々なコーデの魅力を発信したりしています(2:)。

着物をいきなり着るとなるとハードルが高いですが、このような方法であれば興味が湧く人はたしかに増えるように思います。(僕もイベントに参加して着物に興味を持ちました)

僕も自分が興味を持った文化についてなんらかの発信ができたらいいなと考えております。

(と、言うより次のブログでします!読んでね!!!)

ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました!

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